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農・人・くらし

NPO法人 農と人とくらし研究センター コラム

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冬(12~2月)

yuki.jpg このむらは、山が鳴ると冬である。谷底のこのむらを囲む山々の頂上付近を強い西北の風が吹いて雑木の枝がゴーゴーと響き、山全体が鳴っている感じになる。そして、この荒々しい山の響きは、時として山にくらす私に新たなエネルギーを与えるように、冬の間の雪の谷間におこる。
 冬になったというもう一つに荒神祭りがある。このむらの収穫祭である。今は12月の第1日曜日、朝から神社の掃除、祭りの準備をして、午後当家に集まり当家を開き、神社で祭礼、公会堂で直らい(懇親会)というこのむらの出事で冬が始まる。
 1989年12月から1990年2月は、このむらでくらし始めた、初めての冬であった。午前の外気温が氷点下8度にもなり、家の硝子戸の結露が凍り、氷の結晶の花が咲き、陽の光にダイヤモンドダストが輝くのをみて驚かされ、深々と降り積もる雪というなかで、家の片付け、屋敷周りの整備、木屋(穀物倉庫、農具置場、車庫、仕事場)建築準備で終わった。
 野良は、たまねぎ苗の植え付け、大根、白菜など秋野菜の収穫貯蔵など冬越しに備える。大根など根菜は畑に深く埋めるのが普通の冬越しであるが、畑のまま籾殻を深く被せておくと凍結に耐えるとともに未成熟の大根は冬の間も保温が効いて生長して越冬大根になる。
 こうして野良が終わる。昔は、杉檜の枝打ち、炭焼など冬の山仕事の始まりであったが、今は殆んど誰も山に入らず、一二の人が機械による枝打ちをして終日エンジンの音が響くくらいである。
 年末に、妻久枝の出番であるクリスマス、歳暮の贈物の用意が始まる。フルーツケーキつくり、餅つきである。春から造ってきた伽羅ぶき、山椒の実の佃煮、梅干、奈良漬それに岡山の特産であるママカリの酢漬け、アミの塩辛これらをセットにして、「1年の元気」の挨拶として友人たちに贈る。これらが無事に終わって年が越せるのである。
 山の初雪は12月である。時としては50㎝も積もることもあるが本格的な積雪は、年明けから2月中旬の間である。一夜にして30~50㎝もの雪が積もり、終日降り続くこともある。幸いにして、公道は、村がグレイダーで除雪してくれるので雪の中でも自動車で出掛けることができる。しかし、40㎝も積もると、除雪に半日も掛かり、小中学校が休校になることが何度かある。
 問題は、玄関から公道までと家の周囲の雪掻きである。朝1番の仕事となり、1日に何回も雪掻きをすることもある。高齢者世帯では、大変な重労働である。
 山の冬を感じるのは、山が鳴ることと、黒く見える杉檜の山肌を真横に降る雪である。深々と降る雪もあるが、真横の降る雪の荒々しさは、山のエネルギーを感じさせる。
 こうして、冬篭りが始まる。1月は何かと正月に絡んだ行事で終わるが、春からの稲作の記録の整理と次年の生産計画、野菜の生産記録の整理と春野菜生産計画から始まって「あわくら通信」の記事と編集、農業の青色申告・所得税確定申告が冬篭りの中での仕事である。
 妻久枝は、収集してきた古布を選び分けしながらのパッチワークで冬を越す。
 2月も半ばを過ぎると、急に春めいた陽射しを感じるようになる。今までの沈んだような灰色の空気が急に明るくなる日が来る。しかし、その翌日は30㎝も40㎝もの雪が降ることもある。この様な激しい天気の変わりの中に春を感じるのである。気がつくと山の裾の林の中に満作が黄色な可憐な花をひっそりと咲かせており、田んぼの畦に蕗の薹を見るようになる。
 こうして、野良のことが何となく気になり、気忙しくなって冬が終わるのである。

小松展之『あわくら通信』第34号(2008.5.21発行)より転載
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