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農・人・くらし

NPO法人 農と人とくらし研究センター コラム

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皆、百姓

 熊本大学教授の徳野貞雄という人の著書『農村(ムラ)の幸せ、都会(マチ)の幸せ』を読んでいます。始まりの部分が特に面白いです。
  「日本人は皆、百姓の小倅だった」
 日本は稲作が作った国で、昭和30年代まで、みんな農山漁村で暮らしていた。人口の9割は百姓だった。暮らしの中身もほとんど変化なく、明治や江戸時代どころか、室町・鎌倉の時代までつながる暮らしのにおいを持っていた。高度経済成長がその暮らしを急激に変えた。
 というのが、まあ大まかな中身です。面白いのは「高度経済成長期以前の暮らしを経験している者は室町時代にタイムスリップしても生きていける」というところです。
 自給のためのいろいろな野菜を植え、漬物も自分の家で漬け、食事も自分の家で作り、かまどで薪を燃やしてご飯を炊き、掃除はほうきとはたき、洗濯はタライ。共同の水汲み場で洗い物。正月やお盆の行事、こままわしやたこあげなどの遊びも室町時代に定着したそうで、そんな暮らし方は本当に私の子ども時代そのものです。なるほど、私も室町時代にタイムスリップしても生きていけそうです。
 高度成長期以降に生まれた世代との暮らし方の違いは、もう、「違い」というより「断絶」と呼ぶべきものでしょう。
 徳野氏はこう書いています。
 「現在ともっとも大きく違うのは、私達のご先祖様はいつも飢えていたということです。だから食べ物を探すことに必死でした」
 高度成長期という、ほんの数年を境にまったく別の世界に移行してしまった日本人。「飢え」から「飽食」へ、突然の移行でした。
 飢えを知らない世代に食べ物の大切さを教えるのは難しいでしょう。土のにおいを知らない人たちに自然の重さを実感させるのは難しいでしょう。
 彼らは「環境に優しい暮らし」を考える時CO2を出さないエネルギー生産を求めます。
 室町時代人間の我々はエネルギーの使用量を減らす暮らしを考えます。「昔の暮らしに逆戻りは出来ない」と言う人もいるけれど、江戸時代くらいまで暮らし方を逆戻ししても、人間、そんなに不幸にはならないように思います。医学の進歩で、長生き出来るようになったけど、長生きが不幸な場合もいっぱいあるわけで、まあ、そこそこの暮らしをして、そこそこで死ぬってのも、悪くないと思うのでありまして、「生きることの意味」なんて考える暇もなく食うためにのみ働いて、ぱったり死ぬ、そういう生き物に立ち戻ろうよ。
 と、徳野氏の著書の主旨とは関係なく、後ろ向きな提案をする渡辺であります。

『農村の幸せ・都会の幸せ』
 徳野貞雄・著
 生活人新書
 740円十税
 
 なお、私が書店でこの本をぱらぱらめくって、買う気になったのは、最後の方に、わが家の近くで合鴨農法をやっている「進 利行」さんが登場していたからです。
 「農業・農村のニューモデル」の項に「中核兼業農家」として、進さんが紹介されています。彼は消防署に勤めながら農業をやっていて、私はよく「この人は道楽で百姓やってます」なんてからかったりしていました。もう消防署は退職して、正真正銘の百姓です。酒飲みで、よく勉強会だか飲み会だかを開いていますが私を誘ってはくれません。

渡辺ひろ子(元・酪農家)
『私信 づれづれ草』NO.23(2010.2.28発行)より転載
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