農・人・くらし
NPO法人 農と人とくらし研究センター コラム
沖 勝治さん急逝
沖さんが9月21日、心筋梗塞で亡くなりました。77才でした。
沖さんは苅田町の元町職労の委員長を長くやっていて、その頃から草の根通信の読者でもありました。
その後、苅田町の町長を3期。苅田町というのは火力発電所・セメント工場・日産・トヨタなどたくさんの大企業が集中している町で、九州で唯一、国の助成なしに自立している豊かな町で、だから逆に金を巡る様々な思惑が交錯する難しい町です。そんな町の町長を3期、金に腹の中まで汚されることなく務め終えて、勇退後はさらりと元の自分に戻った人です。環境問題や有機農業、そしてハンセン病問題、憲法9条の会など、彼のその後の活動は多岐多彩です。
築城基地前での「2の日」の座り込みにも時々来てくれました。8月2日にも来てくれて、ちょうどこの日、広島のピースサイクルの人たちが築城を通過するので昼食を兼ねた交流会をした時、沖さんも参加して、とても元気で饒舌だったのに…。あの日の沖さんが私の見た最後の沖さんになってしまいました。
沖さんは苅田町の元町職労の委員長を長くやっていて、その頃から草の根通信の読者でもありました。
その後、苅田町の町長を3期。苅田町というのは火力発電所・セメント工場・日産・トヨタなどたくさんの大企業が集中している町で、九州で唯一、国の助成なしに自立している豊かな町で、だから逆に金を巡る様々な思惑が交錯する難しい町です。そんな町の町長を3期、金に腹の中まで汚されることなく務め終えて、勇退後はさらりと元の自分に戻った人です。環境問題や有機農業、そしてハンセン病問題、憲法9条の会など、彼のその後の活動は多岐多彩です。
築城基地前での「2の日」の座り込みにも時々来てくれました。8月2日にも来てくれて、ちょうどこの日、広島のピースサイクルの人たちが築城を通過するので昼食を兼ねた交流会をした時、沖さんも参加して、とても元気で饒舌だったのに…。あの日の沖さんが私の見た最後の沖さんになってしまいました。
渡辺ひろ子『私信 づれづれ草』NO.11(2008.10.2発行)より転載
PR
ブログ内検索
最新記事
(07/30)
(07/08)
(06/20)
(06/06)
(05/28)
(04/16)
(02/25)
(01/18)
(12/30)
(12/14)
(11/10)
(10/27)
(10/16)
(10/07)
(10/01)
(09/22)
(09/11)
(07/12)
(06/25)
(06/04)
(05/27)
(05/14)
(04/24)
(04/16)
(03/31)