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農・人・くらし

NPO法人 農と人とくらし研究センター コラム

カテゴリー「■ づれづれ草」の記事一覧

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福島の牛

 先日、テレビで見ました。福島の立ち入り禁止区域になっている地域の牛飼い(和牛)の話です。原発事故以後、埼玉に移住して野菜農家として再出発している夫婦が何ヶ月かぶりに3時間かけて福島の家に牛の様子を見に戻るドキュメントです。津波で家の中もグチャグチヤ状態のまま、もちろん牛たちも放置して避難を余儀なくされた夫婦です。もう、ここに戻って元の暮らしをすることは出来ないだろう、とあきらめてはいるが「牛たちが気がかりで」許されるわずかな時間でも戻ってきた、という二人の視線の先に、何と数頭の牛の姿があったのです。
 乳牛の場合はほとんど繋がれていたために、餓死してミイラ状で放置のまま。でも肉牛の多くは囲いのなかで放されて飼われていたため、エサをくれる飼い主がいなくなって2年もたっているのに、柵を壊して脱出し、ちゃんと自分で自生している草を食べて生き延びていたのです。飼い主が呼んでも、もう牛たちは近づいてきませんでした。野性の牛として生きているのです。人間なんか信じないぞ、という目をしていました。
 放牧地の一角に真新しい鉄柵が造られていました。牛が自分で扉を押して入ることは出来るが入ったら自分で出ることは出来ない仕組みになっているそうで、ここに入った牛を捕獲して順次「殺処分」するのだということです。行政が造ったのか東電が造ったのか知らないけれど、放射能をいっぱい浴びて、放射能まみれの草を食って2年も生き延びた牛たちを思うと、「人間の造ったそんな邪悪なワナに迷い込むんじゃないよ。野生の牛として、どんどん遠くの山にでも逃げて、繁殖して大集団を形成して、いつの日にか、東電に押し寄せて、人間どもを蹴散らかしてやれ!」などと思いました。

渡辺ひろ子(元・酪農家)
『私信 づれづれ草』NO.48(2013.3.31発行)より転載
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アベノミクス?

 何だか世の中、景気いいって言う話もあるけど、本当ですか? 株価が急騰して、数日で何億も儲けた「個人投資家」がいるとか、週刊誌で書き立てているようですが、本当ですか? 年度末に臨時ボーナスがドドーンと支給された会社もあるとニュースで言ってたけど、本当ですか?
 私の周辺にそんなご立派な会社の社員がいないので、信じられません。
 私の周辺に個人投資家なんていないので、信じられません。私の知り合いで「株」を持っている人といえば、「100株持っていれば株主総会での発言権があるから」と、ありったけの金をかき集めて九電株を100株買ったという反原発の人たちだけです。
 毎日、何社もの株を売ったり買ったりして、それで莫大な利益を得ている人たちが、この世に本当におおぜいいるのですか? そういうことで得た利益は「あぶく銭」だという私の考えは偏っているのですか?
 金も仕事もなくて無気力にネットカフェで夜を明かす若者や、行き場がなく施設をたらい回しされる老人がどんどん増えているのは、株という紙切れを売り買いして巨額の利益を得る人たちのいる社会の仕組みのせいでは、などという私の考えは偏っているのですか?
 私は3月末で、5年間続けてきた酪農ヘルパーの仕事を辞めました。体力・気力ともに責任ある仕事が出来ないと感じてのことです。(Y牧場の夕方のバイトは、もうしばらく続けます)
 6月から、年金がフル支給されるので、その範囲で生活します。6万とチョイです。アベノミクスは、その6万チョイを物価上昇という形で実質価値下落させるだけです、私にとっては…。
 企業が儲かれば景気が良くなり、全体が潤うと安倍サンはいうけれど、その「全体」の中に含まれない人々が実はとてもたくさんいる気がします。「経済」中心に動く社会で、私は出来るだけ経済から遠い暮らし方をしていく覚悟です。
 アベノミクスなんかクソ食らえ!

渡辺ひろ子(元・酪農家)
『私信 づれづれ草』NO.48(2013.3.31発行)より転載

蹴られた!

 年末、酪農ヘルパーの仕事先で、搾乳中に牛に思いっきり蹴られて、ふっ飛びました。初産牛で、産んで一週間目で、まだ乳は痛いし体力は回復してきたし、という一番危ない時期だったようです。
 蹴られた場所が太ももだったので、骨は無事だったけど、ヒザにきていたら粉砕骨折で全治3ヶ月って感じの強烈な一撃でした。
 一週間余り、右足を踏ん張ることが出来ず、しゃがんだり立ち上がったりの度に「あいたた、あいたた」と大騒ぎでした。
 今はもうすっかり痛みもなく普通に歩けます。でも、本当にそろそろヘルパーの仕事、引退時期だなぁ、と思います。蹴られた事は別にしても、腰やら腕やら全身にやたらと痛みが生じて辛いです。筋力が弱ってきたせいでしょうか、糞かきにしても、一かきで落とせた糞の量でも2~3回掻き寄せないと落とせなくなり、腕や肩に疲労の痛みが蓄積します。一番ヤバイのは腰です。今から「腰の曲がったおばあさん」になるのはイヤです。


渡辺ひろ子(元・酪農家)
『私信 づれづれ草』NO.47(2013.1.31発行)より転載

家事力

 以前、新聞で「家事力=資産価値」というのを読みました。最近は家事の多くを専門業者に依頼して代価を払う。そのためにお金を必要とし、忙しく働くからもっと家事が出来ない。家事の出来る人は、子どもでも家庭内での資産価値は高い。逆に高給を取るサラリーマンでも家事がまったく出来なければ家庭内では資産価値0である。
 というような内容でした。昔はお金を使うという行為は特別なことだったけど、今はお金を使わない日はおそらく皆無だろう、ともありました。なるほど。家事をする、というのは資産価値を高めることなのだと、当たり前のことに気がつかされた思いで読みました。
 年末に、宅急便の仕分けのアルバイトをしている知人から聞きました。
 12月29日までは、餅などの荷物が多いけれど、30、31両日の宅急便の大半は「冷凍おせち」なのだそうです。デパートやネット通販で「おせち」を取り寄せる家庭が急増しているそうです。「冷凍とはいえ、中身が少しでも動くと苦情が来るので、絶対に傾けないように仕分け・積み込み・配達するのが大変だ」とか。家族が少ないから黒豆を煮ても余って大変だもんなぁ。でも、あんな小さいセットに何万円も出すのもなぁ…。
 家事力なぁ…。

渡辺ひろ子(元・酪農家)
『私信 づれづれ草』NO.47(2013.1.31発行)より転載

「佐藤祐禎」という人

 長野県にお住まいの片倉和人さんという方がいます。「農と人とくらし研究センター」というNPOを立ち上げている方で、ホームページに私の「づれづれ草」もよく掲載して下さっています。片倉さんの実家が味噌製造業をされていて、毎年おいしい味噌をたくさん送って下さいます。今年も味噌が届いたのですが、その荷の中に一冊の文庫本が入っていました。
 歌集 『青白き光』   佐藤祐禎
 表紙を開くと、カバーの折り返しの部分に5首の歌が書かれていて、それは5首とも原発を詠んだものでした。
   いつ爆ぜむ青白き光を深く秘め原子炉六基の白亜列なる
   小火災など告げられず原発の事故にも怠惰になりゆく町か
   原発が来りて富めるわが町に心貧しくなりたる多し
   原発に勤むる一人また逝きぬ病名今度も不明なるまま
   原発に怒りを持たぬ町に住む主張さえなき若者見つつ
 表題の青白き光とは原子炉の火のことだったのです。中を読み進むと作者は昔は牛飼いをしていて、牛はとうにやめて稲作を続けている人で、妻と息子は教員で、跡継ぎがいないでも米作りにこだわって生きてきたようです。「きた」と言ったには、あとがき(再版のあとがき)を読んだからで、彼は今、福島原発事故によって自宅を離れ、避難生活を余儀なくされているのです。この歌集の初版は平成16年とあり、事故を経て23年12月に文庫本として再版になったのです。福島に生まれ育ち、農業一筋に生きて、52歳の時に初めて短歌を学び、アララギに入会するなど、以来ずっと短歌とともに暮らしてきた佐藤さんが75歳で初めて出した歌集です。
 彼の短歌の主題は原発です。町の人たちのほとんどが東電に絡め捕られていく中で、一人、原発に異議申し立てをし続けてきた彼の生き様がそのまま歌に詠まれています。
 原発の歌が多い中で、でも、農業や農家の暮らしを詠んだものも多くあり、特に、昔牛飼いをしていたこと、それをやめた自分を詠んだものもじんわりと心に沁みました。
   牛飼わずなりて今日買ふ牛糞の臭ひしみじみ嗅ぎゐたりけり
   老われの離農を人ら予測すと言へど簡単に止めてたまるか
 昭和4年生まれというから、80をとうに越えてなお、農業に生きようとしていた佐藤さんを田畑から引き離した福島原発事故。
 彼が事故のあと、どういう歌を詠んだか、ぜひ知りたいと思うけれども、しかし、一方でそれはむごい事かもしれない、かれは歌を詠むことを止めたかもしれない、とも思うのです。
 佐藤祐禎という人を知ることが出来てよかったと思います。片倉さん、『青白き光』を送って下さって本当に感謝です。佐藤さんの無念な思いを私たちはそれぞれが背負って生きて行かねばと思います。

歌集 『青白き光』 佐藤祐禎
    いりの舎 定価700円(税込)

渡辺ひろ子(元・酪農家)
『私信 づれづれ草』NO.47(2013.1.31発行)より転載

ア"ーーーーッ

 もう2週間くらい経つのに、まだ忘れることが出来ずにいます。心が痛み続けています。
 酪農ヘルパーでT牧場に行くために、朝4時過ぎに車で出かけました。まだ薄暗く、すこしモヤもかかっている中、私の軽トラのすぐ後ろに大型トラックが迫っていました。いやでもスピードを出さざるを得ない状況です。
 と、ライトが照らす道路上を必死に駆けているウサギが一瞬見えたのです。ブレーキを踏むと後続のトラックに追突される危険性が極めて高く、「あ、無理!」と思う間もないくらいの瞬間に左タイヤの下にゴトッと小さな衝撃が…。「ア"ーーーーーッ」とおおきな声が出てしまいました。「ごめん」と何度も声に出し、胸をコブシで叩いたりしたけれど、あのウサギの後姿が忘れられません。もし、私の車のタイヤが少しずれていて、轢かずに通過していても、たぶん、後続の大型トラックにペシャンコにされていただろうと思うけど、だから「仕方のなかったこと」と思うけど、でも、私が轢いたという事実は消せません。
 運転歴39年、小さな事故も何度か経験しました。でも、生き物を轢いたのはヘビやカエルくらいで、よく轢かれている猫やタヌキも私は轢いたことがなかったので、今回のウサギは思った以上にこたえました。まだ、あのゴトッという衝撃が生々しく残っています。
 これが、「ひと」だったら、と思うと運転が怖いです。
 あの日以来、あの道路は通りません。

渡辺ひろ子(元・酪農家)
『私信 づれづれ草』NO.44(2012.7.28発行)より転載

『さかなやの四季』

 中津の梶原得三郎さんが松下竜一さんの『草の根通信』に連載していた「さかなやの四季」とそれに続く「ボラにもならず」。この二つをこのほど一冊にまとめて、海鳥社から出版されました。505ページのずっしりと分厚い本ですが、一気に読めるし、またヒマヒマに2~3章ずつ読んでもいい内容です。
本の帯には
 「どう生きるか、そのことを暮らしの中で考える。・・・35歳のときに松下竜一氏と出会い、豊前火力発電所建設反対運動を担う。海面埋め立て阻止行動で逮捕され、37歳で失職。さかな屋となる…。環境への権利を問う闘いを展開した著者が"闘いの日々"と暮らしを綴る。」
と書かれています。
 梶原夫妻を少しでも知る人にとってはなかなかに楽しい場面が満載です。高校時代の同級生だった二人の結婚に至る経過も得さんの当時のラブレターなども挿入されていて、ヒューヒューって感じです。美男美女梶原夫妻の結婚式の写真もドカッと入っていますよ。
 ぜひぜひお買い求め下さい。得さん自身がどうも「売る」という行為に消極的過ぎるので、傍から、要らぬおせっかいで、懸命に宣伝しているところです。

『さかなやの四季』  海鳥社
梶原得三郎・著(3200円十税)

渡辺ひろ子(元・酪農家)
『私信 づれづれ草』NO.44(2012.7.28発行)より転載

芸術(?)の秋

 11月前半、芸術文化(というほどのものでもないけれど)行事で多忙でした。「二日会展」(二日会というのは中津のクロッキーだけの会で、毎年秋に展覧会を開く。クロッキーだけではなく、日ごろ家で描いた油絵・水彩画なども出展する)が11月1日から4日まであり、重複して2~3日は築城の文化祭、また重複して4日には太極拳の大会もあり、中に「2の日」の基地座り込みもあり、バタバタと本当に走り回りました。4日の夕方、「二日会展」の片付けが終わって一息つくと、翌週の土日には、我がムラ「船迫」の初めての「文化展」開催です。
 船迫文化展が実現したこと、ちょっと感動です。小さな田舎の公民館で出品者もまだ少ないけれど、でも、「芽」が出たこと、うれしいです。ずっと以前、一度ムラの役員の会議で私が提案した時には「あんたが一人で全部やるなら、やればいい」と一蹴されました。今回は、自治会長が提案し進めてくれて実現しました。
 婦人会も老入会も解散して、ムラの人たちが集う機会がなくなってしまった船迫ですが、文化展の2日間、三々五々に公民館に来て、作品を見て、製作者と話し、お茶を飲み、みんな笑顔で帰って行きました。
 ずいぶん前から毎年、地域の文化祭をやっている地区もたくさんあります。それらを観に行って、それぞれの工夫・特徴を学んで、次回の船迫文化祭に生かせればと思っています。自治会長は「当面は二年に一度の開催」と言っているけれど、そのうち「毎年やろう!」と言わせてみせるゾ。

・・・・・・・・・・・・

 私自身は油絵を続けたいと思っていて、「二日会展」はモチベーション上げる大事な場です。でも、展覧会を念頭に描くと、どうしても大きな作品になるわけで、アトリエとして使っている部屋には大きなキャンバスがどんどん増えて行くばかりです。娘にいつも言われます。「あんたが死んだら、全部燃やすけネ」
 確かに、娘にしてみれば、金掛けてゴミを増やしてるだけだよなぁ。でも、40年間封印していて、やっと戻ってきた世界だから、手足が動く間、もう少し描かせてよ。世間に絵のうまい人は山ほどいるけど、自分の中で、ちょっとでも高みにいけるかな、と思い思い集中できる唯一の世界だから。

渡辺ひろ子(元・酪農家)
『私信 づれづれ草』NO.46(2012.11.30発行)より転載

農と人とくらし研究センター

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